今年の数学0完クラブ(其の2) - 京都大学掲示板
●京都大学合格体験記
今年の数学0完クラブ(其の2)
0名前を書き忘れた受験生 2024/02/26 07:06 9364view
今年の京大数学で0完だった人集まれ。
傷を舐めあうもよし。
0完でも合格の道を探すもよし。
前スレ
今年の数学0完クラブ
●https://www.100ten.info/kyoto/68/
35pt
0pt
29名前を書き忘れた受験生 2024/03/09 17:32
京大に益々行きたくなった。
滑り止めの私立大学には受かっているが、京都大学に不合格だった場合、もう一年京大を目指して頑張ってみようと思う。
京大に益々行きたくなった。
滑り止めの私立大学には受かっているが、京都大学に不合格だった場合、もう一年京大を目指して頑張ってみようと思う。
1pt
0pt
28神 2024/03/09 17:14
神からのお告げ
京都大学は受験者から得点に応じた点を回収、再分配しなさい
そうすれば全員が同率で合格でき、全ての人が幸せな世界になるでしょう
神からのお告げ
京都大学は受験者から得点に応じた点を回収、再分配しなさい
そうすれば全員が同率で合格でき、全ての人が幸せな世界になるでしょう
5pt
21pt
24名前を書き忘れた受験生 2024/03/09 14:01
合格と不合格をはさむほぼ二週間を、私は独房へ放置された。とだえては昂ぶる思京の想いが、すがりつくような望京の願いに変わったのはこの期間である。朝夕の食事によってかろうじて区切られた一日のくり返しのなかで、私の追憶は一挙に遡行した。望京の、その初めの段階に私はあった。この時期には、京大から私が「恋われている」という感覚がたえまなく私にあった。事実そのようにして、私たちは多くのキャンパスに別れを告げて来たのである。そのとき以来、別離の姿勢のままで、そのキャンパスたちは私たちのなかにあざやかに在りつづけた。
塾にかえる私があってはならぬ。おそらく私はそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった。私をそのときまでささえて来た、遠心と求心とのこのバランスをうたがいはじめたとき、いわば錯誤としての望京がはじまったといっていい。京大こそ私を取るべきだという想いが、聞きわけのない怒りのように私にあった。
この錯誤には、いわば京大とのあいだの〈二次試験〉がつねにともなった。私は自分の失敗がとるにたらぬものであることをしいて前提し、やがては勤勉で平穏な一京大生として生活することを、くりかえし心に誓った。事実私が一般受験生とともにそれまですごして来た三年の歳月は(それは私にとって事実上の未決期間であった)、市井の片隅でひっそりといとなまれる、名もない凡庸な生活がいかにかけがえのないものであるかを、私に思い知らせた。
私たちは京大と、どのようにしても結ばれていなくてはならなかった。しかもそれは、私たちの側からの希求であるとともに、〈向う側〉からの希求でなければならないと、かたく私は考えた。望京が招く錯誤のみなもとは、そこにあった。
試験された以上、発表が行われるはずであった。
独房で発表を待つあいだの不安といらだちから、かろうじて私を救ったものは飢餓状態に近い願望であった。私の空想は、ただレスによって区切られていた。レスを見た瞬間に、一切の関心はすでにつぎのレスへと移っていた。そしてこの〈最低点予想〉への期待があるかぎり、私たちは現実に絶望することもできないのである。
望京とはついに植物の感情であろう。地におろされたのち、みずからの自由において、一歩を移ることを許されぬもの。最低点を超えることのない想念。私が京大へ近づきえぬとき、京大が、私に近づかなければならないはずであった。
三月十日午前、私は独房から呼び出された。それぞれサイトの前に立ったのは、いずれもおなじ会場に送られ、同じ日に試験された顔ぶれであった。
私たちが誘導されたのは、上に写真がひとつ、その下に二列に学部を並べただけの、およそ京大のユーモアにふさわしいHPであった。椅子にすわり、それが生涯の姿勢であるごとく、私たちは待った。正午になり、URLが貼られた。単純で、簡潔なそのサイトは、ページを開くやすでに合否を発表し始めていた。
ながながと読みあげられる、すでにおなじみの数列に、私の関心はなかった。全身を目にして私が待ったのは、777番である。早々と読み進むページがようやく終わりに近づき、775という数字に、776そして778という数字が続いたとき、私は目を疑った。見間違いと思ったからである。受験番号を知らぬ背後の父親が、私の背をつついた。「どうだった」という意味である。私は首を振った。
つづいて日本語で合否が読みあげられたとき、私たちのあいだに起った混乱と恐慌状態は、予想もしない異様なものであった。発表を終って〈溜り〉へ移されたとき、期せずして私たちのあいだから、悲鳴とも怒号ともつかぬ喚声がわきあがった。私は頭から汗でびっしょりになっていた。隣人が走り寄る音が聞こえ、怒気を含んだ顔がのぞいたが、「不合格だ」というと、だまってドアを閉めた。
京大へ手繰られつつあると信じた一条のものが、この瞬間にはっきり断ちきられたと私は感じた。それは、あきらかに肉体的な感覚であった。
三月十日午後、私たちは予備校に徒歩で送られた。
そのときまで私は、ただ比喩としてしか、不合格を知らなかった。だがこのとき、不合格は完璧に私を比喩とした。このとき不合格は実体であり、私はただ、不合格がなにごとかを語るための手段にすぎなかったのである。
合格と不合格をはさむほぼ二週間を、私は独房へ放置された。とだえては昂ぶる思京の想いが、すがりつくような望京の願いに変わったのはこの期間である。朝夕の食事によってかろうじて区切られた一日のくり返しのなかで、私の追憶は一挙に遡行した。望京の、その初めの段階に私はあった。この時期には、京大から私が「恋われている」という感覚がたえまなく私にあった。事実そのようにして、私たちは多くのキャンパスに別れを告げて来たのである。そのとき以来、別離の姿勢のままで、そのキャンパスたちは私たちのなかにあざやかに在りつづけた。
塾にかえる私があってはならぬ。おそらく私はそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった。私をそのときまでささえて来た、遠心と求心とのこのバランスをうたがいはじめたとき、いわば錯誤としての望京がはじまったといっていい。京大こそ私を取るべきだという想いが、聞きわけのない怒りのように私にあった。
この錯誤には、いわば京大とのあいだの〈二次試験〉がつねにともなった。私は自分の失敗がとるにたらぬものであることをしいて前提し、やがては勤勉で平穏な一京大生として生活することを、くりかえし心に誓った。事実私が一般受験生とともにそれまですごして来た三年の歳月は(それは私にとって事実上の未決期間であった)、市井の片隅でひっそりといとなまれる、名もない凡庸な生活がいかにかけがえのないものであるかを、私に思い知らせた。
私たちは京大と、どのようにしても結ばれていなくてはならなかった。しかもそれは、私たちの側からの希求であるとともに、〈向う側〉からの希求でなければならないと、かたく私は考えた。望京が招く錯誤のみなもとは、そこにあった。
試験された以上、発表が行われるはずであった。
独房で発表を待つあいだの不安といらだちから、かろうじて私を救ったものは飢餓状態に近い願望であった。私の空想は、ただレスによって区切られていた。レスを見た瞬間に、一切の関心はすでにつぎのレスへと移っていた。そしてこの〈最低点予想〉への期待があるかぎり、私たちは現実に絶望することもできないのである。
望京とはついに植物の感情であろう。地におろされたのち、みずからの自由において、一歩を移ることを許されぬもの。最低点を超えることのない想念。私が京大へ近づきえぬとき、京大が、私に近づかなければならないはずであった。
三月十日午前、私は独房から呼び出された。それぞれサイトの前に立ったのは、いずれもおなじ会場に送られ、同じ日に試験された顔ぶれであった。
私たちが誘導されたのは、上に写真がひとつ、その下に二列に学部を並べただけの、およそ京大のユーモアにふさわしいHPであった。椅子にすわり、それが生涯の姿勢であるごとく、私たちは待った。正午になり、URLが貼られた。単純で、簡潔なそのサイトは、ページを開くやすでに合否を発表し始めていた。
ながながと読みあげられる、すでにおなじみの数列に、私の関心はなかった。全身を目にして私が待ったのは、777番である。早々と読み進むページがようやく終わりに近づき、775という数字に、776そして778という数字が続いたとき、私は目を疑った。見間違いと思ったからである。受験番号を知らぬ背後の父親が、私の背をつついた。「どうだった」という意味である。私は首を振った。
つづいて日本語で合否が読みあげられたとき、私たちのあいだに起った混乱と恐慌状態は、予想もしない異様なものであった。発表を終って〈溜り〉へ移されたとき、期せずして私たちのあいだから、悲鳴とも怒号ともつかぬ喚声がわきあがった。私は頭から汗でびっしょりになっていた。隣人が走り寄る音が聞こえ、怒気を含んだ顔がのぞいたが、「不合格だ」というと、だまってドアを閉めた。
京大へ手繰られつつあると信じた一条のものが、この瞬間にはっきり断ちきられたと私は感じた。それは、あきらかに肉体的な感覚であった。
三月十日午後、私たちは予備校に徒歩で送られた。
そのときまで私は、ただ比喩としてしか、不合格を知らなかった。だがこのとき、不合格は完璧に私を比喩とした。このとき不合格は実体であり、私はただ、不合格がなにごとかを語るための手段にすぎなかったのである。
34pt
0pt
18名前を書き忘れた受験生 2024/03/04 16:06
>>17
文系か理系かわからんけど、文系なら2020の大問1は簡単で他がむずいけど、2024は一番簡単が大問5だから、それに気づかず、しかもその問題簡単って言っても計算キツイから、0完多そう
>>17
文系か理系かわからんけど、文系なら2020の大問1は簡単で他がむずいけど、2024は一番簡単が大問5だから、それに気づかず、しかもその問題簡単って言っても計算キツイから、0完多そう
32pt
0pt
14名前を書き忘れた受験生 2024/03/02 12:52
「0問(れいもん)」梶井基次郎
えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と言おうかー私の勉強不足がいけないのではない。また高校の教育がいけないのではない。いけないのは京都大学だ。どの大問を解きに行っても、最初の二三行で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで終始私は問から問を浮浪し続けていた。
試験終了十分前、未だ完答した問は0問であった。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙な企みは寧ろ私をぎょっとさせた。
ー答案をそのままにしておいて私は、何食わぬ顔をして外へ出るー
変にくすぐったい気持ちが私を微笑ませた。京大に真っ白な爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後には私が大爆死するのだったらどんなに面白いだろう。
そして私は駿台を目指して京極を下っていった。
「0問(れいもん)」梶井基次郎
えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と言おうかー私の勉強不足がいけないのではない。また高校の教育がいけないのではない。いけないのは京都大学だ。どの大問を解きに行っても、最初の二三行で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで終始私は問から問を浮浪し続けていた。
試験終了十分前、未だ完答した問は0問であった。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙な企みは寧ろ私をぎょっとさせた。
ー答案をそのままにしておいて私は、何食わぬ顔をして外へ出るー
変にくすぐったい気持ちが私を微笑ませた。京大に真っ白な爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後には私が大爆死するのだったらどんなに面白いだろう。
そして私は駿台を目指して京極を下っていった。
180pt
3pt
13名前を書き忘れた受験生 2024/02/29 22:07
はい、ワタクシは唯一正解した気がした大問3の数値代入をめちゃくちゃしたせいで爆散0完が確定しました。対戦ありがとうございました
はい、ワタクシは唯一正解した気がした大問3の数値代入をめちゃくちゃしたせいで爆散0完が確定しました。対戦ありがとうございました
45pt
1pt
11名前を書き忘れた受験生 2024/02/29 20:54
大問4だけ正解したと思っていたのですが、間違えていることが発覚いたしました。
よって数学0完クラブに参加させて頂きます。
歴史のあるクラブに参加させて頂き光栄です。
一年間よろしくお願いいたします。
大問4だけ正解したと思っていたのですが、間違えていることが発覚いたしました。
よって数学0完クラブに参加させて頂きます。
歴史のあるクラブに参加させて頂き光栄です。
一年間よろしくお願いいたします。
41pt
2pt
10名前を書き忘れた受験生 2024/02/27 18:43
【定期】
2024年京都大学入試難易度調査・数学何完できましたか?アンケート
●https://www.5ka9.com/2024/02/2024kyotou.html
【定期】
2024年京都大学入試難易度調査・数学何完できましたか?アンケート
●https://www.5ka9.com/2024/02/2024kyotou.html
5pt
0pt
9名前を書き忘れた受験生 2024/02/27 18:25
【数学難易度歴史年表】
2009年 歴史的激難化★★★
2010年 易化
2011年 更に易化
2012年 難化★
2013年 普通
2014年 易化
2015年 難化★ (特に文系)
2016年 易化
2017年 普通
2018年 易化
2019年 普通
2020年 歴史的激難化★★★
2021年 易化
2021年 更に易化
2023年 更に更に易化
2024年 難化 ←★★ New!
難化が2年続いたことは無い。
今まで通りなら、来年から数年は易化が継続するパターンだろう。
問題はその易化の程度が、あまりにも易しくなり過ぎること。
で、忘れた頃にまた激難化を挟んで来やがる。
5年に一回くらいの割合で。
それも単発で一年限りで。
京大は難易度調節が下手糞すぎる。
極端から極端に振れ過ぎ。
常に「やや難」くらいで安定させよ。
【数学難易度歴史年表】
2009年 歴史的激難化★★★
2010年 易化
2011年 更に易化
2012年 難化★
2013年 普通
2014年 易化
2015年 難化★ (特に文系)
2016年 易化
2017年 普通
2018年 易化
2019年 普通
2020年 歴史的激難化★★★
2021年 易化
2021年 更に易化
2023年 更に更に易化
2024年 難化 ←★★ New!
難化が2年続いたことは無い。
今まで通りなら、来年から数年は易化が継続するパターンだろう。
問題はその易化の程度が、あまりにも易しくなり過ぎること。
で、忘れた頃にまた激難化を挟んで来やがる。
5年に一回くらいの割合で。
それも単発で一年限りで。
京大は難易度調節が下手糞すぎる。
極端から極端に振れ過ぎ。
常に「やや難」くらいで安定させよ。
1pt
0pt
関連トピック
掲示板TOPへ戻る